作っては消し、作っては消し

再びブログへ

ブログを立ち上げては消す、というのを繰り返している。

 

どうも自分が書きたい内容と書いている内容に差があって、違和感があり、満足できないからだ。これまでに消した記事の総量を考えると優に200記事を超える。別に後悔はしていないし、反省する気もないのだけど、何かを表現する(もしブログが表現といえるのであれば、だが)難しさみたいなものを痛感している。別に自分は完璧主義者でもないし、ブログでお小遣いを稼ごうという気も(今のところは)ないのだが、どうもこう、名状しがたいもやもや感みたいなものはずっと胸に残り続けている。

 

思うに、ネットというパブリックな場、それもちょっとしたことで炎上してしまうような危険な場所に、自分の考えていることをつらつらと書き連ねることに、無意識に拒否感というか、不快感を抱いてしまっているのかもしれない。「お前の考えなんか誰も読んでいないし、興味がないよ。自意識過剰なだけだ」という意見は最もなのだけど、生得的に神経質な僕は、そういうささいなことを気にしてしまうのだ。

 

それでも言いたいことは言いたいし、書きたいことは書きたいので、こうしてブログを書いている。日々生活していると、考えごとは尽きないし、好むと好まないとにかかわらず頭の中に思考が蓄積していく。それらの思考はなんらまとまりのない、いわば「思考の断片」みたいなものだ。なんの役にも立たない、どうでもいいものだ。しかし、こうした思考が頭の中で規定値を超えると、それは頭の中で悪さをし始める。すると、どうしてもそれを外に出したくなる。文字という物理的な形で、どこかに吐き出したくなる。ちょっと汚い例だけど、排せつ行為のようなものだ。

 

ストレスというのは、目に見える形で押し寄せてはこない。たぶん、日常的に考えるささいな要素が蓄積して、ある日突然爆発するのだ。だから、僕たちはそれが爆発する前に、爆発源を取り除かなければならない。爆発物処理の方法は人によって違う。ある人は絵や音楽でそれをするかもしれないし、別な人は仕事やゲームに没頭するかもしれない。僕の場合、その手段がブログなのだと思う。だから、何度ブログを消してもアホみたいにブログを再開しているのかもしれない。

 

さて、そんなわけで、ブログを再開した。でも、このブログもいつまで続くかわからない。たぶん、そのうち消すだろう。1か月もてばよい方じゃないだろうか? まあ、ダメだったらその時はその時でブログを閉じて、また新しいブログを作ればいい。結局、「自分のために書く」ということだけは、どのブログで何を書いたとしても変わらないと思うから。